毎日が心のリハビリ

 

正直に生きるのは難しい。

自分の心を表現しながら毎日を過ごすって、実はとっても労力がいる。

 

人の顔色を見ながら生活することに慣れてしまっていると、

自分の気持ちを素直に伝えることはつまり、相手が怒ること、それも高確率で激怒されることだと感じてしまう。だから、思っていることの10パーセントも言えない。

 

毒親や虐待育ちには、思いもよらない社会への壁がこれだ。

 

刹那的な出会いや普段そんなに関わり合いの無い人となぜか素直に会話が出来ても、日常を共にする家族や友達や会社の人間には口ごもって、荒ぶる感情を抑えきれずにぶつけてしまう。直接ぶつけなかったとしても、その態度はきっと隠しきれない。

 

私の場合は本当に嫌なことほど抱えこむので、荒ぶる心を悟られないように部屋にこもったり顔を見なくてすむようにそっとその場から立ち去る。

 

相手によっては心を閉ざしたり、会話を中断されてしまった気がして、私の心を何としてでもこじ開けようと喧嘩になることがある。

 

思っている事や秘めていることは毎日膨大にあるのだけれど、

上手に解放することが出来ない私は、気を紛らせるので精一杯だ。

 

ここにはマイナスやネガティブな側面を書いているけれど、荒ぶる感情も穏やかな感情も表現できる場所が今目の前にあることが何よりの救いだ。

 

さいころ叶わなかった、一瞬の感動や情緒の繋がりを共有できる人がいる。

近すぎて苦しい時もあるけれど、不器用なりの繋がり方でなんとか生きて行きたい。

 

今私は絶賛リハビリ中で、心を静かに穏やかに周りに伝えることが課題。

中年にして、思春期さながらの情緒の変動に苛まれる毎日だ。